でもそれ以来、マクロ経済学者たちは、二つの大きな派閥に分かれてしまった。「塩水派」経済学者(おもにアメリカ海岸部の大学にいる)は、不景気というものについて、おおむねケインズ派的な見方をしている。そして「淡水派」経済学者(主に内陸部の大学にいる)は、この見方がナンセンスだと考える。
淡水派の経済学者は、基本的には、純粋自由放任(レッセフェール)主義者だ。あらゆるまともな経済分析は、人々が合理的で市場が機能するという前提から始まるというのが彼らの前提だ。この想定は、単なる不十分な需要によって経済が低迷するという可能性を、前提により排除してしまっている。
・・・(中略)・・・
この研究が行われている頃、ぼくは大学院生で、それがどれほどエキサイティングに思えたか、よく覚えている――そして特にその数学的な厳密さが、多くの若い経済学者にとっていかに魅力的だったかも。でも、この「ルーカスプロジェクト」と広く呼ばれていたものは、すぐに脱線してしまった。
何がおかしくなったのか? ミクロ的基礎を持ったマクロ経済学を作ろうとした経済学者たちは、やがてそれにはまりすぎてしまい、プロジェクトに救世主じみた狂信性を持ち込んで、他人の意見に耳を貸さなくなってしまったのだ。特に、まともに機能する代案もまだ提供できていなかったのに、勝ち誇ってケインズ経済学の死を宣言した。
・・・(中略)・・・
さて、淡水派経済学者たちも、事態がすべて思い通りに運んだわけじゃない。一部の経済学者たちはルーカスプロジェクトの明らかな失敗を見て、ケインズ派のアイデアをもう一度見直して、化粧直しをした。「新ケインズ派」理論が、MIT、ハーバード、プリンストンなどの学校――そう、塩水近く――や、政策立案を行うFRBや国際通貨基金(IMF)などの機関におさまった。新ケインズ派たちは、完全市場や完全合理性という想定から逸脱しても平気で、おおむねケインズ的な不景気観に沿うだけの不完全性を追加した。そして塩水派の見方では、不景気と戦うのに能動的な政策をとるのは、相変わらず望ましいことだった。
ポール・クルーグマン(著)/山形 浩生(訳)『さっさと不況を終わらせろ』(早川書房、2012年), pp. 138-141.
マクロ経済学における二大派閥を「淡水派」/「塩水派」と名付けたのは、クルーグマンさん・・・ではなく、ロバート・ホールさんだそうですが――1976年に書かれたこちらの論文(pdf)で命名――、ホールさんのホームページによると、ネット上で「淡水派」/「塩水派」という表現を使うと、命名者であるホールさんに対して1回につき1ドルの使用料(あるいは、寄付金)を払う必要があるみたいです。なんてがめついんだ・・・と思うのは早計です。ホールさんが自分の懐に入れるわけではなく、経済学界の未来を担う大学院生を支援するための基金の財源にするらしいのです。マクロ経済学を専攻する大学院生らを修士課程1年目にMIT――「塩水派」の根城の一つ――で学ばせ、2年目にミネソタ大学――「淡水派」の根城の一つ――で学ばせるためのプロジェクトの財源にするというのです。言うなれば、(塩水と淡水が混在した)「汽水派」の若手を育成しようというわけですね。
おそらくクルーグマンさんはホールさんに対して100ドル近くの使用料を支払っていると思われますが、僕もそのうち1ドル払わなくちゃいけませんね。
(追記)ホールさんのホームページをよく読むと、「使用料を1ドル払うように」としか書かれていませんね。「淡水派」/「塩水派」という表現を使うたびに1ドル(1回につき1ドル)というわけじゃなく、もしかしたら1ドル払えば何回でも使っていいのかもしれません。クルーグマンさんが気軽に使っているのもそのため(1ドル払えば何回でも使えるため)なのかもしれません。