2023年1月30日月曜日

相関と因果の取り違え

こんな相関を考えてみよう。犯罪がとても多い都市には警官も多い傾向がある。さて、警官の数と犯罪の数の相関を実際の都市2つで見てみよう。デンバーとワシントンDCの人口はほぼ同じだ――一方、ワシントンにはデンバーの3倍もの警官がいて、殺人の件数も8倍だ。それでも、もっと情報がなければどっちがどっちを起こしているのかはわからない。慌て者ならこの数字を見てワシントンで殺人が多いのは警官が多いせいだと言い出すかもしれない。そういう無茶な考え方は昔からあって、だいたいは無茶な行動にたどり着く。こんな昔話もあるくらいだ。むかしむかし、あるところに王様がいました。あるとき王様は、国中で疫病が一番よく起きる地方にはお医者も一番たくさんいると聞きました。王様がどうしたかって? すぐさま医者をみんな撃ち殺せとお触れを出しましたとさ(スティーヴン・D・レヴィット&スティーヴン・D・ダブナー(著)/望月 衛(訳)『ヤバい経済学』, pp. 13)

1977年に発表された学術論文「刑務所建設の一時停止を求める立場を代表して」は、投獄率が高いとき犯罪発生率も高いことを指摘して、投獄率を下げない限り犯罪は減らないと結論づけている(運よく、看守たちが突然獄舎を開け放ち、犯罪が減るのを座って待ってるようなことにはならなかった。政治学者のジョン・J・ディユーリオ・Jr. が後日語っている。「犯罪学者の世界では、博士号でも持ってないと危険な犯罪者を投獄しておいたほうが犯罪は減るというのがわからないようだ」)。「一時停止」論を主張する人は相関と因果の違いを根本的にわかっていない。同じような話を考えてみればいい。ある町の市長が、自分たちの町のチームがワールドシリーズに勝つと市民は大喜びするのに気がついた。市長はこの相関関係に興味を持ったのだが、「一時停止」論文の著者と同じように、相関がどっちからどっちへ流れているのかはわからなかったようだ。そこで翌年、市長はワールドシリーズのお祝いを第一球が投げられる前に始めると宣言した――彼の混乱しきった脳内では、これで勝利は確実になった(上掲書、pp. 154-155)。

警官を増やしただけで犯罪が減るんだろうか? 答えはあたりまえみたいに思える――yesだ――けど、それを証明するのは簡単ではない。というのも、犯罪が増えるとみんな守ってくれと大騒ぎするので、だいたいは警察に回ってくる予算が増える。だから、警官と犯罪の相関をそのまま見てしまうと、警官が多いときには犯罪も多いという傾向が出る。もちろん、警官が犯罪を起こしているわけじゃない。ちょうど、一部の犯罪学者が言うような、犯罪者を出獄させれば犯罪が減るということにはならないのと同じだ(上掲書、pp. 158) 

二つの物事が相関しているからといって一方が他方の原因だとは限らない。相関は単に二つの物事――XとYと呼ぼう――には関係があると言っているだけで、関係の方向については何も言っていない。XがYを起こすのかもしれないし、YがXを起こすのかもしれない。もしかしてXとYが両方とも何か他の物事であるZに引き起こされているのかもしれない(上掲書、pp. 13)。

0 件のコメント:

コメントを投稿

「無精の学」と「徒労の学」

「もうずいぶんむかしのことになりますが、大正13年の秋、私が東北大学に赴任した当時ヘリゲルというドイツ人の哲学者がいたのです。・・・(略)・・・広瀬川を渡って向山の草の多い坂道を登っていたときに、急にそのヘリゲル先生が私に対して、お前は経済学をやっているそうだが、経済学というのは...