2022年7月20日水曜日

高所恐怖症?

高いところがどうも苦手です。高所恐怖症とまでは言えないかもしれませんが、なんだか堕ちちゃいそうで怖いんです。と言っても、体じゃなくて、魂が堕ちちゃいそうで不安になるんですよね。

「いくらお祈りのためとはいっても、こういう高い場所にいるのはなんとなく危険な気がしますね」とブラウン神父。「高みというやつは、下からながめるものであって、そこから見おろすものじゃなかったんですね」

「落っこちやしないかという心配ですか?」とウィルフレッドが訊いた。

「からだが墜落しなくとも、魂が堕ちるかもしれないという意味ですよ」と相手の聖職者は言った。

・・・(中略)・・・

「わたしの知っていた一人の男は、最初はほかの者たちといっしょに祭壇の前で礼拝することから始めながら、やがて祈りの場所として鐘楼の片隅だとか塔のてっぺんとかいうような高い淋しい所を好くようになった。あるとき、世界が自分の足もとで車輪のようにまわっているように見えるそういう眼のくらむ場所で、その男の頭までがくるくる回りだし、自分は神であると思いこむところまで行ってしまった。こうして、善良な人間であったのに、その男は大きな罪を犯した」

ウィルフレッドの顔はそっぽを向いていたが、その骨ばった手はみるみる血の気を失って、石の欄干をきつく握りしめた。

「この世を裁き、罪人を打ち伏せることが自分に許されているとその男は考えたのです。そんな考えは、ほかの者といっしょに床に膝まずいていたならば、とうてい思いつかなかったでしょう。ところが、その男はすべての人が虫けらのようにうごめいているのを見てしまった。・・・(略)・・・」

G・K・チェスタトン(著)/中村 保男(訳)「神の鉄槌」(『ブラウン神父の童心』に収録, pp. 268-269) 

0 件のコメント:

コメントを投稿

「無精の学」と「徒労の学」

「もうずいぶんむかしのことになりますが、大正13年の秋、私が東北大学に赴任した当時ヘリゲルというドイツ人の哲学者がいたのです。・・・(略)・・・広瀬川を渡って向山の草の多い坂道を登っていたときに、急にそのヘリゲル先生が私に対して、お前は経済学をやっているそうだが、経済学というのは...