人名を冠した用語のことを英語で「エポニム」というらしいです。例えば、「チェスタトンのフェンス」、「オヴァートンの窓」なんかがそうですね。ちなみに、「スティグラーの法則」によると――「スティグラーの法則」も「エポニム」の一つですね――、「科学的発見に第一発見者の名前が付くことはない」らしいです。「エポニム」には(元祖の名前が冠されるとは限らないという意味で)恣意的な面があるというわけですが、「太陽の下に新しきものなし」ってことなのかもしれませんね。
経済学の分野でも「エポニム」はたくさんあって、例えば、・・・といきたいところですが、『An Eponymous Dictionary of Economics: A Guide to Laws and Theorems Named after Economists』(Julio Segura&Carlos Rodríguez Braun 編集)を手に取るに如(し)くはないでしょう。
(追記)ちなみに、「チェスタトンのフェンス」の「チェスタトン」は、あのチェスタトンのことです。その意味するところを警句のかたちで表現すると、「フェンスがそこに建てられた理由を突き止めるまでは、フェンスを撤去するなかれ」ってことになるらしいです。「変化によって失うものは確実だが、変化によって得られるものは不確実である」(pdf)というマイケル・オークショットさんの言に通ずるところがある――保守主義のすすめ?――かもしれません。
「オヴァートンの窓」というのは、言うなれば社会通念みたいなものです。社会通念から逸脱し過ぎた考えは、政治家に相手にされずに政策として結実する見込みがないってわけですね。そう言えば、ミルトン・フリードマンさんが「『オヴァートンの窓』なんて知るか!!」と息巻いていましたね。
・・・(略)・・・しかし上述の事例からもわかるとおり、経済学者は政治的可能性を予測するのは下手である。そのためもあって、わたくしは政治的可能性つまり提案が早急に容易に採用されるかどうかについては考慮をはらわないようになった(むろん別の意味の政治的可能性には注意しなければならない。すなわち、どのような措置でもひとたび実施されれば、所与の政治体制の下でいかなる効果をあらわすかという意味である)。わたくしは経済学の専門家だが、政治は素人である。専門家としての経済学上の判断が、素人の政治的判断に迷わされるのは、理にかなっており公衆の利益に合致するといえようか。
ミルトン・フリードマン(著)/新開 陽一(訳)『インフレーションとドル危機』, pp. 3-4.
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