2024年2月28日水曜日

同時代史の難しさ

起きた当時は「取るに足りない」と思われていた出来事が後世になって「歴史的に重要な出来事」と見なされるようになる可能性もあれば、起きた当時は「歴史的に重要な出来事」と見なされていたのに後世の歴史教科書(をはじめとした文書)では一切触れられずに終わる――時代が下るにつれて、「取るに足りない」出来事として忘れ去られる――可能性もある。「時代の顕著な動き」をリアルタイムで見抜くのは至難の業であって、同時代史の難しさ(あるいは、頼りなさ)を思わずにはいられません。

"Predicting history"と題された論文――Nature Human Behaviour誌に2019年に掲載――のアブストラクト(要旨)の一部より(以下は拙訳)。

世の中で起こるあれやこれやの出来事の「歴史的な重要性」をリアルタイム(同時進行)で正確に捉えることは可能だろうか? 「可能である」と答えるのは、後世の歴史家の(過去に起きた個々の出来事に関する)評価を予測できると語るに等しい。すなわち、起きるやいなや「歴史的に重要」だと見なされた出来事は、後世になっても(後世の歴史家にも)同じく「歴史的に重要」だと見なされると語るようなものなのだ。本稿では、それとは逆の哲学的な立場を支持する実証的な証拠を提示する。世の中で起こるあれやこれやの出来事の「歴史的な重要性」をリアルタイムで正確に捉えることができるという言い分は、どうも疑わしいのだ。後世において「歴史的に重要」と見なされるに至った過去の多くの出来事は、起きた当時は大して注目されずにいたのだ。・・・(略)・・・総合的に判断すると、複雑な社会システムにおける予測可能性に内在する制約(限界)を明らかにしている一連の先行研究と整合的な結論が導き出されるようだ。すなわち、世の中で起こるあれやこれやの出来事の「歴史的な重要性」を予測するのは極めて難しいのだ。

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