ハイエクさんによると、全体主義(集産主義)体制下では「最悪なものが最高の地位を占める」傾向にあるとのことです。すなわち、 「悪いヤツほど出世する」というのです。
現存の全体主義体制の最も悪い特徴と思われるものは、偶然の副産物ではなくて、全体主義が晩(おそ)かれ早かれ、確かに齎(もた)らす現象であると信ずべき強い理由がある。経済生活を計画化し始める民主主義的政治家が、独裁権を振りまわすか、その計画を破棄するかのいずれを選ぶかということに、すぐに直面するのと同じように、全体主義的独裁者はすぐに普通の道徳律を無視するか、それに失敗するかのいずれかを選ばなくてはならぬ。このような理由からして、全体主義の方向に進んでいる社会においては、不道徳なものや、無鉄砲なものがよりよく成功しがちなのである(F・A・ハイエク(著)/一谷 藤一郎(訳)『隷従への道――全体主義と自由――』(東京創元社、1979年再版), pp. 179)。
われわれの標準からして善良と思われる人々が、全体主義的機構の指導的地位に立とうと熱望するようなことは殆(ほと)んどなく、寧(むし)ろ思い止まらせたいものが多いのであるが、冷酷な者や不道徳な者には特殊の機会がある。その仕事だけをとってみれば、悪いことであることは何びとも疑い得ないが、或る高い目的に役立たせるために、それをなすことが必要であり、他の仕事と同じような熟練と能率をもって遂行せられることを要する仕事がある。それ自身悪いものであり、まだ伝統的な道徳に影響されているすべての人々が実行することを潔(いさぎよ)しとしない行為に対する要求があるから、その悪いことを容易になし得るものは、昇進し、権力をもつに至るのである。残酷と脅迫、慎重な詐欺とスパイを実行することが必要である。・・・(略)・・・著名なアメリカの一経済学者〔フランク・ナイト;引用者注〕が集産主義国家の指導者たちの任務を同じように簡単に列挙して、「彼らは欲すると否とに拘(かか)わらず、これらのことをなさなくてはならぬ。そして権力をもっている人々がそれをもったり、用いたりすることを好まない個人であるというような可能性は、奴隷の働く大農園において非常にやさしい心の持ち主が、鞭打つ主人の仕事を引き受ける可能性とほぼ同じように少いのである」と、結論していることは余りにも当然のことである(上掲書, pp. 198)。
ハイエクさんによると、社会または国家――全体――が個人よりも上位に立ち、全体の目的(理想)を達成することが何よりも優先される全体主義体制下では、「目的が手段を正当化するという原理」(pp. 193)が最高の規則となって、すべての道徳が否定されるに至るとのことです。目的を達成するためとあらば、どんな手も厭(いと)わない。脅迫、詐欺、スパイ。どんなに残酷で汚い手であっても、目的の達成につながるなら正当化される・・・というわけですね。全体主義体制下では、残酷で汚い仕事に心理的な抵抗を感じない(残酷で汚い仕事を難なくこなせる)悪漢こそが「偉くなれる」(権力を手にすることができる)ってわけですね。
「魂が堕ちてるからこそ、偉くなれる」説に一票みたいです。
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