『国民のための経済政策』という古い本(訳本)を何気なく読んでいたら、次のような記述が目に留まりました。
ケネディ政府は財政金融の管理手段強化を提案した。1962年1月、大統領はアンチ・リセッションのための連邦政府の政策手段を再増強すべく次の三つの措置を提案した。(1)大統領は個人所得税率の均等引下げ(5%までの)を一時的に行ないうる手続き、(2)失業がふえるとき公共資本支出を随時拡張すべき計画、(3)大量失業期間中における失業手当期限の自動的延長を含む失業保険の恒常的改善、以上である。
ジェームズ・トービン(著)/間野 英雄・海老沢 道進・小林 桂吉(訳)『国民のための経済政策』(東洋経済新報社、1967年), pp. 12.
著者のジェームズ・トービンさんは、いわゆるケインジアンの大物の一人として有名ですが、1961年から1962年まで大統領経済諮問委員会(CEA)のメンバーを務めていて、ケネディ大統領に経済政策の助言を行う立場にありました。上の引用文中で触れられている「三つの措置」については、CEAが1962年1月に議会に提出した「大統領経済報告」(pdf)で詳しく説明されていますが(pp. 17-21)、当時は定式的伸縮制度(formula flexibility)っていう呼び名で通用していたみたいです。
景気循環対策として最も強力な手段は、いうまでもなく財政政策であります。景気の状態に応じて政府財政の支出と収入を調節し、その差額つまり財政の赤字(または黒字)の乗数効果を通じて有効需要水準をコントロールすることができます。このような効果を中心に考えたときの財政政策を「補整的財政政策」あるいは単に「フィスカル・ポリシー」(compensatory fiscal policy あるいは fiscal policy)と呼びます。
財政のフィスカル・ポリシーとしての機能は
・・・(中略)・・・
(3)いわゆる定式的伸縮制度(formula flexibility)
の三つの段階に区別することができます。
・・・(中略)・・・
既存の計画を繰上げて実施するとか、失業保険金や生活保護費などを増大するとか以外には、景気の状態に応じて財政支出を機動的に、しかもむだ使いにならないように、増加することはそれほど簡単ではありません。
そこで積極的なフィルカル・ポリシーの手段として考え出されたのが、いわゆるフォーミュラー・フレクシビリティーという方法です。
これは景気の上昇に応じてあらかじめ定められた一定の公式(formula)にしたがって、税率や社会保障的支出を変更する権限を政府に与えておき、たとえば不況のときに失業率が何%を超えたときには個人所得税の免税点を引上げるとか最低税率をあるパーセンテージだけ引下げるとかいうやり方です。このようにして、GNPの変化に応じて、あらかじめ定められた公式(フォーミュラー)にしたがって機動的に財政赤字(または黒字)を作り出すわけです。
館 龍一郎・小宮 隆太郎(著)『経済政策の理論』(勁草書房、1964年), pp. 43-49.
財政政策は、機動性に欠けるという難点を抱えています。政府支出を増やす(あるいは減らす)にしろ減税する(あるいは増税する)にしろ、議会の承認を得る必要があります。景気が悪化したからといって、政府の一方的な判断ですぐに支出(歳出)を増やしたり減税したりすることはできないのです。そこで考え出されたのが「定式的伸縮制度」です。議会の承認を得る手続きを短縮化する(あるいは、議会の承認を得るという手続きを飛び越える)ことによって、財政政策の機動性を高めようというのです。具体的には、例えば失業率が一定の値(閾値)を上回ったら、大統領(政府)の指示で一時的な減税に踏み切られたり公共事業が前倒しされたり、失業保険の給付期間が自動的に延長されたりする(あるいは、失業保険の給付額が自動的に増やされたりする)のです。
「どこかで似たような話を聞いた覚えがあるなあ」と記憶を辿っていたら、思い出しました。ブランシャールさん&サマーズさんが言うところの「準自動安定化装置」(semiautomatic stabilizer)そのものじゃないですか。世紀が変わって、呼び名も(「定式的伸縮制度」から「準自動安定化装置」へと)変わったみたいですね。
(追記)ちなみに、トービンさんが触れている「三つの措置」は、提案どまりで終わったみたいです。議会が反対して、制度化されるに至らなかったのです。議会としては、予算編成の権限の一部を奪われてしまうという警戒心があったのかもしれませんね。それに加えて、当時のアメリカでは、「ニュー・ディールやフェア・ディール同様、その後のニュー・フロンティアは、『アンチ・ビジネス』政権が『自由企業体制』を『計画経済』にとって代えようとするというやかましい警戒心」が広まっていて、ケネディ政権に対して「アメリカの経済体制の大変革を目論んでいるのではないかという疑念」(『国民のための経済政策』, pp. 5)が抱かれていたらしいですから、理解を得るのは難しかったのかもしれませんね。
0 件のコメント:
コメントを投稿