これまでぼんやりとしか見えていなかったものの輪郭をくっきりさせる手助けをしてくれるのが「理論」なのかもしれません。そういう意味で理論というのは「メガネ」(あるいは、「コンタクトレンズ」)みたいなものと言えるでしょうが、そのメガネには「色」がついているかもしれません。色がついているという意味で、もののを姿を歪んで見せているのかもしれません。メガネは一つしかないわけではなく、それぞれに違う色がついているメガネがたくさんあるのかもしれません。一つのメガネをかけたおかげでものの輪郭がくっきり見えるようになったからといって、そのメガネだけをありがたがるのは軽率なのかもしれません。
「本来、理論家の任務は現実と一挙に融合するのではなくて、一定の価値基準に照らして複雑多様な現実を方法的に整序するところにあり、従って整序された認識はいかに完璧なものでも無限に複雑多様な現実をすっぽりと包みこむものでもなければ、いわんや現実の代用をするものではない。それはいわば、理論家みずからの責任において、現実から、いや現実の微細な一部から意識的にもぎとられてきたものである。従って、理論家の眼は、一方厳密な抽象の操作に注がれながら、他方自己の対象の外辺に無限の曠野をなし、その涯は薄明の中に消えてゆく現実に対するある断念と、操作の過程からこぼれ落ちてゆく素材に対するいとおしみがそこに絶えず伴っている。この断念と残されたものヘの感覚が自己の知的操作に対する厳しい倫理意識を培養し、さらにエネルギッシュに理論化を推し進めてゆこうとする衝動を喚び起すのである。」
丸山 真男(著)『日本の思想』(岩波新書、1961年), pp. 90.
「鶴見 ・・・(略)・・・『自己中心的な視座』という言葉があります。ものを見るときに、どうしても人間は自分から見る。だけど、見えないものがどこにあるかは、気配で感じることができる。気配の自覚がある人は、成熟したすぐれた人だと思うし、その気配がまったくわからない人は、ものを考える人としてあまりすぐれていないと思うんです。
歴史家の場合もそうだと思います。自分の見えないものについての感覚。見えにくいけど、何かそこにあるんじゃないかという感覚です。
・・・(中略) ・・・
津田(左右吉)はマルクス主義者じゃないんだけど、自分がつくっている視座について、何が自分に見えないかの気配の感覚を持っていたと思うんです。だけど、転向した状態から、戦後にもとのマルクス主義者に戻ってきた人たちは、気配の感覚を失っていた。戦争中に自分が別の立場をとってきたのを忘れて、そのことを隠してしゃべっているんだから、これはどうにもしょうがない。
ところが、そういうことを、史学は、問題にならないと思っている。科学はそういうものじゃないと思っている。だけど、科学にもそういうことが繰り込まれているんです。科学としての歴史といった場合に、視座の問題は入らないと思ってるのは、科学についてのとらえ方が浅いんです。 」
網野 善彦・鶴見 俊輔(著)『歴史の話:日本史を問いなおす』(朝日文庫、2018年), pp.17-19.