2022年6月26日日曜日

科学と宗教

科学と宗教というと、水と油のような関係にあるかのように思われていますが、宗教が科学にインスピレーション(着想)を与えることもあるのですね。科学が宗教にインスピレーションを与えた例も探せば出てくるかもしれません。

直線運動という固定概念がなかったファラデーは、聖書に着想の源を求めることができた。彼が属していた<サンデマン派>は、直線とは異なる幾何学図形、すなわち円を重んじていた。人間は神聖な存在であり、聖なる自然の摂理に基づいて、各自が他者に対する責任を担っているというのが彼らの考えだった。誰かに手を差し伸ばせば、その人はまた別の人に手を差し伸ばし、そしてその人がまた次の人に手を差し伸ばす。そうして最後には円が完成するというわけだ。

・・・(中略)・・・

1821年夏の終わり、ファラデーは電気と磁気の関連性について研究しはじめた。・・・(略)・・・ファラデーはまっすぐ立てた1本の棒磁石を用意した。彼は自分の奉ずる宗教に影響され、目に見えない円環状の渦が磁石をめぐっていると考えた。その推測が正しければ、だらりと垂らされた導線はそれに引きよせられ、小舟が渦に巻きこまれるように神秘の円に捕らえられるはずだ。彼は電池を接続した。

その直後、ファラデーは電磁気回転という世紀の発見をなした。

デイヴィッド・ボダニス(著)/伊藤 文英・高橋 知子・吉田 三知世(訳)『E=mc²――世界一有名な方程式の「伝記」』(早川書房、2010年), pp. 31-32.

0 件のコメント:

コメントを投稿

「無精の学」と「徒労の学」

「もうずいぶんむかしのことになりますが、大正13年の秋、私が東北大学に赴任した当時ヘリゲルというドイツ人の哲学者がいたのです。・・・(略)・・・広瀬川を渡って向山の草の多い坂道を登っていたときに、急にそのヘリゲル先生が私に対して、お前は経済学をやっているそうだが、経済学というのは...