霊感(ないしは、着想)の源泉は、宗教かもしれませんし、偶然かもしれませんし、未来人かもしれません。何かを閃(ひらめ)くにしろ、何かで成功するにしろ、実力や努力のおかげだけじゃないのかもしれないわけですね。本人の力以外の何かに助けられているのかもしれないわけですね。謙虚にいきたいものですね。
「わが社の時間旅行サービスは、特殊な性格のものだ。“ミューズ” という名称はそこから出た。この意味がわかるかね?」
「えーと」 スレードは面くらったが、せいいっぱい答えた。「待ってください。ミューズというのは、架空の存在で、人間の知的活動を――」
「人間に霊感をさずけるんだよ」 マンヴィル氏はせっかちに口をはさんだ。「スレード、きみは――はっきりいおう――きみは創造的な人間じゃない。だからこそ、退屈した気分、みたされない気分になる。きみは絵を描くかね? 作曲するかね? 宇宙船の船体や、ローン・チェアーの廃物を溶接して、鉄の彫刻をこさえたりするかね? いや、しない。きみはなにもしない。まったくの受け身だ。そうだろう?」
スレードはうなずいた。「図星ですよ、マンヴィルさん」
・・・(中略)・・・
「いいかね、スレード。われわれはきみの力になれる。だが、まず自分の努力が必要だ。創造的な人間でない以上、きみが望める最高の目標は――ここでわが社がきみの力になれるんだが――創造的な人間に霊感をさずけることだ。わかるかね?」
ややあって、スレードはいった。「なるほどね。わかります、マンヴィルさん」
「そうとも」 マンヴィルはうなずいた。「さて、きみが霊感をさずけるのは、モーツァルトやベートーヴェンのような大音楽家でもいいし、アルバート・アインシュタインのような大科学者でもいいし、サー・ジェイコブ・エプスタインのような彫刻家でもいい――おおぜいの作家や、音楽家や、詩人のうちのだれでもいいんだ。たとえば、地中海を旅行中のサー・エドワード・ギボンに会って、さりげなく話しかけ、こんなことをいう・・・・フム、このあたり一帯の古代文明の遺跡をごらんなさい。ローマのような強力な帝国がどうして衰亡してしまったのでしょう? 没落と荒廃・・・・分裂につぐ分裂・・・・」
「そうなのか」 スレードは熱っぽい口調でいった。「なるほどね、マンヴィルさん。わかりました。ギボンの前で “衰亡” という言葉を何度もくりかえせば、ぼくのおかげで彼はあの偉大なローマの歴史、『ローマ帝国衰亡史』のアイデアをつかむ。つまり――」 自分が身ぶるいしているのが感じられた。「ぼくがお手伝いしたことになる」
「“お手伝い”?」 マンヴィルはいった。「スレード、その言葉は適当じゃないな。きみがいなければ、そうした著作は存在しなかったわけだ。スレード、きみがサー・エドワードのミューズになることもできるんだよ」
P・K・ディック(著)/浅倉久志(訳)「ぶざまなオルフェウス」(『模造記憶』に収録, pp. 117-119)
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