「宗教」が着想の源になることもあれば、「偶然」が発見のきっかけになることもあります。“Research by accident” なんて言い回しもあるくらいですから、「偶然」が発見のきっかけになるのはそう珍しいことじゃないのかもしれません。
「偶然」が発見のきっかけになったとしても、単に運がよかったってだけじゃないかもしれません。まったく同じ「偶然」に遭遇しても、場合によっては、あるいは、人によっては、その「偶然」を見過ごしてしまうかもしれません。「偶然」が見過ごされてしまえば、発見にはつながりません。「偶然」を発見のきっかけにする――「偶然」を発見につなげる――ためには、運を活かす実力も必要なのかもしれません。
1961年冬のある日のこと、一区切りのデータをもっと念入りに調べたいと思ったローレンツは、近道をすることにした。時間を節約するため始めの部分をはしょって、中途から処理を始めることにしたのである。・・・(略)・・・コンピュータの騒音を逃れてコーヒーをのむため廊下に出た。小一時間ほどして部屋に戻った彼は、まったく思いがけないもの、まさに新しい科学の種がそこに播かれているのを見たのである。
さっきローレンツが自分で数字の一字一字をそっくりそのままコンピュータに打ちこみ、別にプログラムを変えたわけではないのだから、この結果も前のと全く同じになるはずだった。ところが今、新しいプリントアウトを見つめるローレンツの眼前にくり拡げられていたのは、たった数ヶ月分の天候のパターンなのに、それが以前のものとは似ても似つかぬものになるほどの速度でずれて行くさまだった。
・・・(中略)・・・
だが次の瞬間、彼ははっと本当のことに気がついた。機械が狂ったのではなく、実は彼が打ちこんだ数字の方に問題があったのだ。コンピュータのメモリーの中には .506127 という6桁の数字が記憶されていたが、紙面を倹約するためプリントアウトには .506 の3桁しか印刷されない。だが1000分の1ぐらいなら大した誤差ではないと思ったローレンツは、四捨五入して短くしたその3桁の数字をそのまま打ちこんだのだ。
・・・(中略)・・・
つまりある特定の出発点から出発した天候は、毎回必らず全く同じパターンをとって展開する。その出発点をちょっと変えれば、その結果の天候もやはりちょっと変ったかたちで展開するはずだ。数字の上の僅かな誤差などというものはほんのそよ風のようなもので、天候全体に重大な影響を及ぼしたりするまえに、いつの間にかひとりでに消えてしまうか、さまなくば互いに打ち消し合ってなくなってしまうにちがいない。ところがローレンツのその方程式の系では、僅かな誤差が「大異変」を招くことになったのである。
・・・(中略)・・・
しかしこんな違いなどお粗末なコンピュータのぶれのせいだとして片付けられないことはなかったし、機械自体、あるいは彼の作ったモデルそのものにどこか悪いところがあるのかもしれないと思うこともできただろう。第一ナトリウムと塩素を混ぜたら金が出てきたなんぞという大事件ではなし、そのまま放っておくべきだったのかもしれなかった。だがこのときローレンツは、鋭い数学的直観――彼のこの直観の力を同僚たちが理解しはじめたのはずっとあとのことだが――によって、これはおかしい、根本的な考え方に狂ったところがあるのではないかと気がつき、はっとしたのだった。
J・グリック(著)/大貫昌子(訳)『カオス――新しい科学をつくる』(新潮文庫、1991年), pp. 33-36.
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