無知ゆえに無垢・・・なのかどうかはわかりませんが、「イノセント」には、無垢という意味以外にも、無知という意味もあります。
年を重ねるにつれて――大人になるにつれて――無垢でなくなってしまうのは、少しずつ賢さ(ずる賢さも含めて)を身に付けていってしまうからかもしれませんね。
無垢な世界(あるいは、無垢な時期)に惹かれてしまうのは、長続きしないがゆえ、いつかは失われるがゆえ、儚いがゆえ、稀少であるがゆえなのかもしれません。
僕は彼女のために真珠の柄のついたナイフとラジオと、チョコレートをかぶせたチェリー(僕らは一度それをちょっとだけ味見したことがあるが、それ以来彼女は真剣な顔で僕にこう言うのだった、「ねえバディー、私はあれなら毎日ごはんがわりに食べられるよ。神様に誓って本当だよ。私は神様の名を故もなく口にしたりはしないからね」と)をたっぷり1ポンド買ってあげたいと思う。でもそのかわりに、彼女のために凧を作る。彼女は僕に自転車を買ってやりたいと思っている(機会があるごとに何百万回となくそう口にした。「もし私にそれが買えたならね、バディー。欲しいものがあるのにそれが手に入らないというのはまったくつらいことだよ。でもそれ以上に私がたまらないのはね、誰かにあげたいと思っているものをあげられないことだよ。でもそのうちにちゃんとあげるよ、バディー。お前のために自転車を手に入れてやるよ。どうやってなんて聞かないでおくれよ。盗みでもしようかねえ」)。でもそのかわりに彼女は僕のために凧を作ってくれているのだろう。僕はそう見当をつけている。
トルーマン・カポーティ(著)/村上春樹(訳)「クリスマスの思い出」(『ティファニーで朝食を』に収録, pp. 255-256)
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